日本キリスト教団 東久留米教会

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2024-04-28 1:46:03()
「イエス・キリストを愛する私たち」   2024年4月28日(日)礼拝説教
順序:招詞 ヨハネ福音書16:33,頌栄28、主の祈り,交読詩編121、使徒信条、讃美歌21・120、聖書 申命記6:4~15(旧約p.291)、ヨハネ福音書21:15~19(新約p.211)、祈祷、説教、祈祷、讃美歌515、献金、頌栄27、祝祷。 

(申命記6:4~15)聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。あなたの神、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑を得、食べて満足するとき、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないよう注意しなさい。あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。他の神々、周辺諸国民の神々の後に従ってはならない。あなたのただ中におられるあなたの神、主は熱情の神である。あなたの神、主の怒りがあなたに向かって燃え上がり、地の面から滅ぼされないようにしなさい。

(ヨハネ福音書21:15~19) 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

(説教) 本日は、復活節第5主日公同礼拝です。説教題は「イエス・キリストを愛する私たち」です。新約聖書は、ヨハネ福音書21:15~19です。本日の最初の小見出しは、「イエスとペトロ」です。

 先週の個所は本日の直前でした。復活されたイエス・キリストがガリラヤ湖(ティべリアス湖)で、奇跡の大漁をもたらして下さったことが描かれていました。魚を獲る労働を行った十一人の弟子たちを、イエス様がパンと魚の朝食によって、ねぎらって下さいました。本日の個所は、その続きです。最初の15節「食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、『ヨハネの子シモン、この人たち以上に私を愛しているか』と言われました。」「ヨハネの子シモン」という呼び方は1章42節にも出て来ます。この御言葉から、シモン・ペトロの父親がヨハネという名前だったことが分かります。「ヨハネの子シモン」という呼び方は、改まった呼び方です。イエス様のこの御言葉を文語訳で読むと、こうです。「ヨハネの子シモンよ。汝、この者どもに勝りて我を愛するか。」

 イエス様がほかの弟子たちにはこう言われないで、シモン・ペトロ一人を呼んでこう言われたことは、やはりシモン・ペトロには特に大きな期待をかけておられたことを意味するのではないかと思います。ペトロが答えます。「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」するとイエス様は、「私の小羊を飼いなさい」と言われ、ペトロにクリスチャンたちの世話をする使命を与えられました。イエス様は二度目に言われます。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエス様は言われました。「私の羊の世話をしなさい。」これは最初の「私の小羊を飼いなさい」と同じ意味と思います。イエス様が愛する羊たち(クリスチャンたち)の世話をする責任、使命を与えられました。

 三度目にイエス様は言われます。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか。」ある説教者は、こう述べます。「イエス・キリストが一番弟子のペトロに愛を問い、愛を確かめておられる。しつこいような、ペトロに迫る、三回にわたってペトロに迫っているイエス様の迫力を感じる」(大村勇牧師)。ペトロは、イエス様が三度目も、「私を愛しているか」と言われたので、悲しくなった。」「ああ、イエス様は私を信用しておられない。」そして言いました。「主よ、あなたは何もかもご存じです。私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」「イエス様は、あなたは私の全てをご存じです。私が、十字架にかかるあなたのことを三度『知らない』と言って裏切ってしまったことも知っておられます。そして私が心から泣いて、その罪を悔いたことも知っておられます。あなたは復活なさって、私たちの所に来て下さり、『あなた方に平和があるように』と語って下さいました。その時、私はあなたが私たち弟子の裏切りと逃走の罪をゆるしてくださったと悟りました。私はそれで平安を与えられ、聖霊を注がれて、あなたへの愛に燃えています。聖霊に助けられて、今度こそあなたが与えて下さった責任と使命を、懸命に果たします。その私の心を、あなたはよく知っておられます。」イエス様は、ペトロの答えを喜ばれたと思います。改めて言われました。「私の羊を飼いなさい。」ペトロには伝道者の使命と共に、仲間のクリスチャンたちの世話をする牧会者の使命が与えられました。ペトロはイエス様を愛し、仲間のクリスチャンたちを愛して、その人々を支えます。

 15~17節のイエス様とペトロの問答の箇所には、「愛している」という言葉が7回も出て来ます。ご存じの方々もおられますが、原文のギリシア語を見ると、愛を表す2つの動詞が用いられています。愛ではあっても、少しニュアンスが違う2つの愛という言葉が使われています。その2種類の愛という言葉が、意識的に使い分けられていると読む人と、特に意識的に使い分けられているわけではないと読む人がいます。私は今回改めて数名の人々の解説や説教を読んでみて、意識的に使い分けられていると読むのがよいと感じました。その2つの愛を、「アガペーの愛」と「フィリアの愛」に分けることができます。教会ではよく「アガペーの愛」は、神様の愛、敵をも愛する最高の愛だと語られます。それに対して「フィリアの愛」は「友としての愛」と言えます。敵をさえ愛するアガペーの愛に比べると、そこまでハイレベルではない愛、しかし人間の温かみのある友情愛と言えます。

 そこを踏まえてイエス様とペトロの問答を訳すと、こうなります。「ヨハネの子シモン、この人たち以上に私をアガペーの愛で愛しているか。」「はい、主よ、私があなたをフィリアの愛で愛していることは、あなたがご存じです。」「私の小羊を飼いなさい。」二度目にイエス様は、「ヨハネの子シモン、私をアガペーの愛で愛しているか。」ペトロは「はい、主よ、私があなたをフィリアの愛で愛していることは、あなたがご存じです。」「私の羊の世話をしなさい。」イエス様は三度目に言われます。「ヨハネの子シモン、私をフィリアの愛で愛しているか。」悲しくなったペトロが答えます。「主よ、あなたは何もかもご存じです。私があなたをフィリアの愛で愛していることを、あなたはよく知っておられます。」

 イエス様は最初の二回はペトロに、「私をアガペーの愛で愛しているか」と問われました。ペトロは二回とも、「はい、主よ、私があなたをフィリアの愛で愛していることを、あなたはご存じです」と答えています。イエス様がペトロにアガペーの愛を求めても、今のところペトロにはフィリアの愛でイエス様を愛するのが精一杯とも言えます。そこを見て取ったイエス様が、おそらく微笑みを浮かべながら、ペトロのレベルに少し降りて来て下さり、三度目にはペトロに、「私をフィリアの愛で愛しているか」と問うて下さったことになります。そしてペトロは「その通り、フィリアの愛で愛しています」と答えました。ここにイエス様の憐れみと思いやりをみることができます。

 とにかくイエス様は、ペトロに責任を使命を与えられます。「私の羊を飼いなさい。」そしてイエス様は18節で言われます。「はっきり言っておく。」これは原文で「アーメン、アーメン、私はあなた方に言う」です。アーメンは、「真実に」の意味ですから、「真実に、真実に、私はあなたに言う」です。「これから真実で大切なこごを述べますよ」の意味です。「あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくない所へ連れて行かれる。」これはペトロへの預言です。19節「ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、『私に従いなさい』と言われた。」これは、ペトロが将来、イエス様と同じように十字架に架けられて殉教することを予告した御言葉です。ペトロがそのようにして、神様の栄光を現して死ぬことを予告したものです。今はイエス様をフィリアの愛で愛しているとまでしか言えないペトロです。しかしイエス様がペトロを支えて下さいます。聖霊がペトロを励まして下さいます。ペトロは最後には、自分に託されたクリスチャンたち(羊たち)をアガペーの愛で愛し守って、そしてイエス様をもアガペーの愛で愛して、十字架にかかって命を神様に献げるのです。こうして神様の栄光を現して死ぬことになる。このことをイエス様が、はっきりと預言されました。

 ペトロの殉教の場面は、聖書にはありませんが、ペトロは伝説では、逆さ十字架に架けられて紀元60年代頃に殉教したとされています。私はおそらく事実だと思っています。今もローマに聖ピエトロ大聖堂があるそうですが、ペトロの墓の上に建てられていると言われます。伝説に基づいてペトロの殉教を描く小説に『クォ・ヴァディス(主よ、いずこに行き給うや)』があります。映画、DVDになっています。イエス様の十字架と復活から約30年後、ローマではクリスチャンへの迫害が起こっていました。ペトロはローマを脱出します。すると向こうから歩いて来る方がおられます。何とイエス様です。ペトロは「主よ、いずこへ行かれるのですか」と尋ねます。イエス様が、「私の羊たちがローマで苦しんでいる。私はもう一度十字架にかかるために、ローマに行く。」ペトロは驚き、自分が約30年前と同じ裏切りの罪を犯しかけていることに気づきます。そしてローマに引き返し、おそらくはクリスチャンたちの世話をし、イエス様と同じ十字架ではイエス様に申し訳ないと考え、逆さ十字架を希望して、逆さ十字架で殉教したと伝えられています。こうして「私の羊の世話をしなさい」とイエス様が与えて下さった責任を果たし、神の栄光を現す殉教の死を遂げて、天国に凱旋しました。殉教の時も、目に見えなくても、最も良き羊飼いイエス様が共にいて、支えて下さったに違いありません。ペトロは十字架に向かう時、イエス様がヨハネ福音書16章で語られた御言葉で、自分を励ましたかもしれません。「あなた方には世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている。」イエス様が世に勝っているということは、悪魔にも死にも既に勝っているということです。私たちも、様々な試練に遭う時、この御言葉で自分を励ますことができます。「あなた方には世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている。」私たちもイエス様につながることで、既に悪魔と死に勝たせていただいています。

 イエス様は、ヨハネ福音書10章で、「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは、羊のために命を捨てる」と言われました。ペトロにも、よき羊飼いとして生きる使命をお与えになり、ペトロはその使命を果たしたのです。この時のペトロは、もはやフィリアの愛を超えていました。イエス様に励まされて、最後はアガペーの愛に生ききることができたのです。私が1998年の12月に按手礼を受けて牧師になったとき、私の神学校のクラスメートも共に牧師になりました。彼のお母様が私に御自分が書かれた色紙をプレゼントして下さいました。「良い羊飼いは、羊のために命を捨てる」と書かれています。今も大切に保存しています。この御言葉をプレゼントすることで、私を励まして下さったのです。

 ローマの信徒への手紙14章7~8節に、イエス様の十字架の愛に感謝する私たちキリスト者の生き方が記されています。「私たちの中には、誰一人自分のために生きる人はなく、誰一人自分のために死ぬ人もいません。私たちは、生きるとすれば主のため(イエス様のため)に行き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」キリスト者は皆、イエス様を愛してこう生きるのです。
 
 ドイツに、ベーテル(神の家の意)という福祉の町があるそうです。ナチス政権の時代のドイツでは、ナチスがユダヤ人絶滅計画と障がいをもつ方々の安楽死計画を実行しようとしていました。これはどう考えても、命をお造りになる神様に反逆する計画、悪魔の計画です。人は皆、神様に似せて造られたからです。神様に反逆したので、ナチスは滅びました。福祉の町ベーテルにも、障がいをもつ方々の安楽死を説くナチスの医者が来ました。ベーテルの責任者であるフリッツ・フォン・ボーデルシュヴィング牧師が反論します。「国家に有用かどうかで、人の存在価値を決めることはできません。安楽死は、神の掟に反します。他の人々のためという大義名分で、障がいのある人々を犠牲にするのは大きな間違いです」と反論しました。それでも残念ながら何名かは殺されたそうですが、ボーデルシュヴィング牧師がベーテルの人々を守りました。ベーテルは、「ヒットラーから障がいある方々を守った町」として知られるようになりました。ボーデルシュヴィング牧師は、良い羊飼いとして生きて、イエス・キリストに従って生きて神様の栄光を現わしました。殉教の死には至らなかったうようですが、ナチスの命令に逆らうことは、命がけの覚悟を必要としたでしょう。彼もイエス様を愛し、イエス様から託された障がいある方々を愛して、守りました。

 私は先月、約23年ぶりに韓国に行く機会を与えられましたが、日本統治時代の韓国にも、立派な牧師がおられました。朱基徹(チュ・キチョル)という牧師です。当時韓国の教会の最大の苦労は、日本によって強要された神社参拝です。神社を礼拝し、天皇を礼拝することが求められました。しかし旧約聖書の申命記6章4節には、このように書かれています。「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなしなさい。」ですから私たちも父なる神様を愛し、神の子イエス・キリストを愛します。そしてモーセの十戒の第一の戒めはこうです。「あなたには、私をおいてほかに神があってはならない。」文語訳ではこうです。「汝、わが顔の前に、我のほか何者をも神とすべからず。」そして申命記6章12節以下には、こう書かれています。「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないよう注意しなさい。あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。他の神々、周辺諸国民の神々の後に従ってはならない。あなたのただ中におられるあなたの神、主は熱情の神である。」
 
 朱牧師は、厳しい苦難に遭いましたが、父なる神様への愛、イエス・キリストへの愛に燃えていました。「できません、できません。神社に礼を捧げることはできません。この身は幼い時から主イエスにあって育ち、主イエスに献身する(身を献げること)を十回、百回と誓いました。」奉仕する教会を愛していましたから、きっとすばらしい牧会をなさったことでしょう。朱牧師は、獄中で暴力を受けても耐えて、イエス様への愛を守り通して、47才で天に召されました。神様の栄光を現わす生き方、死に方をなさり、ご自分の十字架を背負って、イエス様に従い通されました。

 私たちは、ここまで立派に生きられないかもしれません。しかし私たちもイエス様から「私を愛しているか」と問いかけられていると思うのです。私たちが日曜日に礼拝するのは、イエス様を愛しているからです。無理な場合は、オンラインで参加する道もあります。私たちのために十字架に架かって下さったイエス様の愛に応えて、イエス様に私たちの愛を献げて礼拝し、イエス・キリストに感謝をもって従う、真の意味で喜ばしい道を、共に生き切らせていただきたいのです。アーメン。



2024-04-25 23:59:59(木)
伝道メッセージ(4月分) 市内の保育園の「おたより」に掲載した文章
 「『子どもたちを私(イエス・キリスト)の所に来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。(~)子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。』そして、子どもたちを抱き上げ、手を置いて祝福された」(新約聖書・マルコによる福音書10章14~15節)。

 新入園のお子さん方とご家族の皆様、真におめでとうございます。下里しおん保育園はキリスト教主義なので、毎朝、真の神様への礼拝があります。私は毎週金曜日の礼拝のお話をするために参ります。しおんという名前は、聖書に出て来るイスラエルの首都エルサレムが「シオンの丘」にあることに由来し、神の国、天国のシンボルです。

 旧約聖書の創世記3章に、最初の女性エバが、蛇に誘惑されて神様の戒めを破り、善悪の知識の木の実を取って食べてしまう場面があります。エバに誘われたアダムも、同様に食べてしまいます。二人が神様を避けて隠れると、神様の探す声が聞こえます。「どこにいるのか。」二人が言い訳して謝らないでいると、神様は二人をエデンの園(楽園)から追放
されます。この話には、深い意味があります。

 ある男性は、少年時代にチャンバラごっこが好きで、隣家の庭の美しいダリヤの花の茎を切りたい衝動に駆られ、がまんできずにスパッと切ってしまいます(大貫隆『聖書の読み方』岩波新書、2010年)。それは隣家のおじさんが丹精込めて育てたダリヤでした。「しまった!」と青くなった少年は、一目散に家に帰り、押し入れに隠れます。夕方になり、母
親が心配して探し回る声が聞こえます。「隆、隆、どこにいるの?」 少年は後から気づくのです。エバとアダムは自分だ。悪いことをして隠れた自分を母親が探し回ったように、神様も、神様に背いて神様に合わせる顔がなくなり、神様から隠れる私たち人間を探し回って下さるのだと。

 神様は私たちに、「悪いことをしたら、心から謝りなさい。そうすればゆるす」とおっしゃって、私たちを探して下さいます。素直に心から謝って神様の元に帰れば、神様が喜んで抱きしめて下さいます。古代のキリスト教会のリーダーの一人アウグスティヌスも、真の神様から離れた放蕩の生活を送った後、自分の罪を謝って、真の神様に立ち帰りました。そしてしみじみこう言いました。「神様は、私たちの心を神様に向けて造られたので、人は神様に立ち帰らないと、真の平安を得られない。」

 私はしおんの子どもたちに、真の神様(と神の子イエス・キリスト)を紹介し、イエス様と共に歩む平安な人生の土台を提供したいと願っています。保護者の皆様も、ぜひ真の神様に立ち帰って下さい。世界が早く平和になりますように、切に祈ります。アーメン(「真実に」)。
 ☆ぜひ新約聖書と旧約聖書をお読み下さい。日曜はお近くのキリスト教会の礼拝にご出席下さい(念のためマスク持参)。礼拝と説教をライヴ配信する教会も多くあります。
2024-04-25 23:54:39(木)
伝道メッセージ(3月分) 市内の保育園の「おたより」に掲載した文章
 「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(イエス・キリスト。新約聖書・マタイによる福音書5章9節)。

 卒園の3月、別れと新スタートの季節です。卒園しても、ぜひイエス様と礼拝を忘れないで下さいね。一年生になる皆さんに祝福を祈ります。

 ところで私は、日本人が憲法九条を卒業してはいけないと考えています。太平洋戦争であまりにも多くの日本人と外国人が亡くなった反省として憲法九条ができたからです。私は日本の平和憲法を、神様から日本へのプレゼントだと思っています。平和を愛するイエス様への信仰と平和憲法の心に一致があると信じます。しかし政府が九条を軽視するとに危機感を抱いた作家等の方々が2004年に「九条の会」①を立ち上げ、2005年には「東久留米九条の会」②ができました。2007年に「東久留米キリスト者九条の会」③という小さな会ができ、私も参加しています。

 この会(③)では毎年4月29日(休日)に講演会を開いて来ました。講師はキリスト教学校の先生、牧師、神父、クリスチャン弁護士等です。今年はやや角度を変えて、「子どもの権利保障とは―子どもの人権救済活動の現場から」の題で坪井節子さん(クリスチャン弁護士、カリヨン子どもセンター理事長)のお話を伺います。日本国憲法を愛する方です。4
月29日(月・休)13:30~16:00に東久留米駅近くの成美教育文化会館で行います。どなたも歓迎です。

 ①の呼びかけ人の一人・大江健三郎さんが残念ながら昨年亡くなりました。大江氏は1994年のノーベル文学賞受賞講演で、「この不戦の誓い(九条)を憲法から取り外せば、我々はヒロシマ、ナガサキの(原爆)犠牲者たちを裏切ることになるのです」と述べました。ヒットラーに抵抗して39才で死刑になったドイツのボンへッファー牧師は、既に1934年に語りました。「安全保障の道を通って平和に至る道は存在しない。なぜなら、平和はあえてなさねばならないこと、一つの偉大な冒険だからだ。平和は安全保障の反対だ。安全を求めることは、相手への不信感がそこにあるからだ。この不信感が再び戦争を引き起こす。武器による戦いに、勝利はない。」不信感を信頼に変える全員の努力が必要です。イエス・キリストと、このような優れた先人たちのメッセージに深く学び、平和な日本、アジア、世界を造るために共に祈り、身近なところから努力しましょう。しおんの子どもたちが生涯、平和な世界で生きるために。アーメン(「真実に」)。 ☆ぜひ新約聖書と旧約聖書をお読み下さい。日曜はお近くのキリスト教会の礼拝に、ご出席下さい(念のためマスク持参)。礼拝と説教をライヴ配信する教会も多くあります。
2024-04-25 23:49:31(木)
伝道メッセージ(2月分) 市内の保育園の「おたより」に掲載した文章
 「重い皮膚病を患っている人が、イエスの所に来てひざまずいて願い、『御心(神の意志)ならば、私を清くすることがおできになります』と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった」(新約聖書・マルコによる福音書1章40~42節)。

 日本政府が福祉に無関心だった頃、ハンセン病の方々に尽くした聖公会(イギリス系のキリスト教会)の女性宣教師ハンナ・リデルさん(1855~1932)をご紹介します。今はハンセン病は、よい薬で確実に治り、感染力は極めて弱く隔離の必要もありませんが、以前は感染力が強いとの誤解により、日本でも患者の方々や家族がひどい偏見と差別に苦しみました。リデルさんはイエス・キリストを宣べ伝えるために日本に来ましたが、熊本の本妙寺で思いがけない光景を見ます。九州各地から来たハンセン病の方々や、目や手足の不自由な方々が参詣人に物乞いをしたり、癒しを求めて加藤清正の霊に祈っていると見える光景です。加藤清正は戦国大名で熊本のヒーローでしょうが、かなり昔の人で、神ではないので、加藤清正に祈ることは迷信で、何の効果もありません。

 深く心を痛めたリデルさんは真の神に祈り、行動します。仲間の宣教師たちや故郷の友人たちからの献金等で何とか土地を買い、何と病院を建てたのです。当時ハンセン病の方々は、社会からほぼ見捨てられた状態だったので、病院の名前には熟慮を要しました。もし肉体的に癒せなくても、イエス様の愛により、暗黒の人生に再び希望の春を回り来させることを祈り、「回春病院」と命名しました。真の救い主イエス様を宣べ伝えると共に、リデルさんは独身で回春病院の患者の方々に尽くし、病院の維持に全力を挙げました。姪のエダ・ライトさんも来て、リデルさんの事業を引き継ぎました。エダさんの最大の楽しみは、毎週日曜日にハンセン病の患者さん方と一緒に献げる、神様への礼拝でした。

 リデルさんには外交能力があり、大隈重信や渋沢栄一とも交流がありました。東久留米市の隣りの東村山市の多磨全生園内の国立ハンセン病資料館に、大隈重信がリデルさんに出した達筆の手紙が展示されていました。リデルさんの持論は、「日本が軍艦一隻を維持する費用をハンセン病に転用すれば、この病気は日本で50年で解決する」です。当時の日本は富国強兵の道をひた走り、国が福祉に無関心でした。神を愛し、隣人を愛する日本であるように祈ります。能登半島の方々に、イエス様の御守りをお祈り致します。アーメン(「真実に」)。 ☆ぜひ新約聖書と旧約聖書をお読み下さい。日曜はお近くのキリスト教会の礼拝に出席下さい(念のためマスク持参)。礼拝と説教をライヴ配信する教会も多くあります。
2024-04-20 23:07:49(土)
「夜明けのキリスト」 2024年4月21日(日)礼拝説教
順序:招詞 ヨハネ福音書16:33,頌栄24、主の祈り,交読詩編なし、使徒信条、讃美歌21・322、ヨハネ福音書21:1~14(新約p.211)、祈祷、説教、祈祷、讃美歌316、献金、頌栄27、祝祷。 

(ヨハネ福音書21:1~14) その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。

(説教) 本日は、復活節第4主日公同礼拝です。説教題は「夜明けのキリスト」です。新約聖書は、ヨハネ福音書21:1~14です。本日の小見出しは、「イエス、七人の弟子に現れる」です。

 1~2節「その後、イエスはティべリアス湖畔(ガリラヤ湖畔)で、また弟子たちに御自身を現わされた。その次第はこうである。シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、 ほかの二人の弟子が一緒にいた。」イエス様の復活を最初信じなかったトマスも、今はイエス様の復活を信じる者になって、他の弟子たちと一緒にいました。ゼベダイの子たちはヤコブとヨハネです。この福音書を書いたヨハネも、身をもって大漁(多くの魚が取れた奇跡)を体験しました。

 ガリラヤのカナ出身のナタナエル。ナタナエルに少し注目すると、この人は、ヨハネ福音書1章でイエス様にお目にかかった弟子です。その時イエス様はナタナエルのことを、「見なさい、まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」と言われました。ナタナエルが驚いて、「どうして私を知っておられるのですか」とと言うと、イエス様が、「私はあなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われました。それは「神の言葉である律法を学んでいた」ことを意味するそうです。ナタナエルは早くも信仰告白を口にします。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」もちろん正しい信仰告白です。するとイエス様は言われました。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことを、あなたは見ることになる。天が開け、神の天使たちが人の子(イエス様ご自身)の上を昇り降りするのを、あなた方は見ることになる。」

 「あなたはイエス様の復活を見ることになる」の意味かもしれません。イエス様の復活と昇天(天に昇ったこと)は、この地上と天国を結んだ出来事だからです。復活されたイエス様は、本日の箇所で奇跡的な大漁を与えて下さり、七人の弟子たちは目を見張りました。これが「もっと偉大なこと、天が開け」た出来事だったとも言えます。ナタナエルは、ガリラヤのカナ出身と書かれています。カナと聞くと、私たちはヨハネ福音書2章の「カナでの婚礼」の場面を連想します。婚礼でぶどう酒が切れたとき、イエス様が愛の奇跡を起こして、ふつうの水をよいぶどう酒に変えて下さった場面です。それによって父なる神様の栄光、神の子イエス様の栄光が現わされたのです。今日の大漁の場面と似ています。水をぶどう酒に変えて下さった恵みもまた、「もっと偉大なことを、あなたは見る。天が開けるのを見る」の実現だと思います。ガリラヤのカナ出身のナタナエルは、その奇跡を目撃したかもしれません。それと似たイエス様の祝福を、本日の場面でも経験致します。

 3節「シモン・ペトロが、『私は漁に行く』と言うと、彼らは、『私たちも一緒に行こう』と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。」ペトロは率先して行動する性格です。軽率なこともありますが、率先して行動することことは彼の長所でもあります。聖書では舟はしばしば教会のシンボルです。「しかし、その夜は何もとれなかった。」夜は、魚を捕るベストの時間帯だそうです。しかし夜は同時に、悪魔が暗躍する時のシンボルでもあります。「その夜は何もとれなかった。」努力はしたのです。7人が力を合わせて、懸命に努力しました。しかし魚一匹もとれなかったのです。七人は疲れて失望したと思います。努力したけれども、報われなかった。人生にはこのようなことがしばしばあります。努力したが、成果が出ないときです。

 4節「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。」朝もやで見えなかったのかもしれませんし、心の目(霊の目)が開かれないと、イエス様だと分からないのかもしれません。しかし復活されたイエス・キリストが共におられることで、状況は一変します。このイエス様は、ヨハネ福音書16章33節で、こう宣言された方です。「これらのことを話したのは、あなた方が私によって平和を得るためである。あなた方には世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている。」悪魔と死に勝利して復活されたイエス・キリスト! この方が私たちと共にいて下さいます。ですから恐れることはないことが分かります。私たちは死んでも死なない。死んでも生きるのです。永遠の命に生きるのです。既に世に勝ち、死に勝たれたイエス・キリストが共におられるからです。イエス様こそ、祝福のかたまりです。

 5~6節「イエスが、『子たちよ、何か食べ物があるか』と言われると、彼らは『ありません』と答えた。イエスは言われた。『舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。』そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。」このような神様の祝福は、旧約聖書でもしばしば与えられています。たとえば列王記・上17章に預言者エリヤが、一人のやもめに次のように頼む場面があります。「器に少々水を持って来て、私に飲ませて下さい。パンも一切れ、手に持って来て下さい。」すると彼女は答えます。「あなたの神、主は生きておられます。私には焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわすかな油があるだけです。私は二本の薪を拾って帰り、私と私の息子の食べ物を作るところです。私たちは、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです。」 するとエリヤが言います。「恐れてはならない。帰って、あなたの言ったとおりにしなさい。だが、まずそれで私のために小さいパン菓子を作って、私に持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。『主が地の面に雨を降らせる日まで、壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない。』」やもめは行って、エリヤの言葉どおりにしました。こうして彼女も家の者も、幾日も食べ物に事欠かなかった。主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかったのです。これは(これも)神様の愛と憐れみによる祝福の奇跡です。同じ神様の愛の祝福が行われ、ペトロたちは大漁に驚いたのです。

 私たちも時々、このような驚く体験を与えられます。年に数回、「なぜ今日は、礼拝出席がこんなに多いのだろう」と少し驚く日があります。15年ほど前から約3年間、教会の皆さんと共に、近くの落合川で主に子どもたちに聖書の紙芝居を見せていた時期があります。はじめは平日の午後でした。近くの幼稚園から帰宅するときに、落合川の遊歩道を通って帰る親子グループがありました。そのグループが喜んで紙芝居を見てくれたのです。多い日で子ども10人、少ない日で1~2人でした。そのグループが卒園すると土曜日に移して、河原に遊びに来る子どもたちを対象に行いました。見てくれる子どもがほとんどいなくなって終わりになりましたが、幼稚園から帰宅するグループが紙芝居を見てくれた時期は、まさに奇跡的な時期でした。その後数年たってから、小学校高学年か中学生になったお子さんが教会に来て、「私はあの時、川原で紙芝居を見ていました」と言ったときには、私は驚いて喜びました。弟子たちの場合はティべリウス湖(ガリラヤ湖)での奇跡でしたが、今の話は落合川での恵みの奇跡です。

 7節「イエスの愛しておられたあの弟子(ヨハネとされます)がペトロに『主だ(イエス様だ)』と言った。シモン・ペトロは『主だ』と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。」裸同然ではイエス様に失礼だと思い、上着をまといました。湖に飛び込んで、イエス様の所に泳いで行ったようです。距離は200ペキスばかりとありますから、約90mです。8節「ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から200ペキスばかりしか離れていなかったのである。」9節「さて、陸に上がってみると、炭火が起こしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。弟子たちの労苦に報いて、朝食のためにイエス様が炭火で魚を焼いて下さり、パンも用意して下さいました。主の山に備えあり、です。

 10節「イエスが、『今とった魚を何匹か持って来なさい』と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、153匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。」153という数に何か意味があるか、はっきりとは分かりません。一説には、当時、地中海に住む魚が153種と考えられていたと言います。153は、世界の全ての人を指すシンボルの数字かもしれません。おびただしい実りが与えられたことを意味します。私は、イエス様の十字架を予告した旧約聖書のイザヤ書53章の11~12節を思い出します。「彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。私(父なる神様)の僕(しもべ、イエス様)は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。それゆえ、私は多くの人を彼の取り分とし、彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち死んで、罪人(つみびと)の一人に数えられたからだ。多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった。」おびただしくとれた魚は、イエス様が十字架で死なれて、命と引き換えにもたらして下さった尊い実りです。

 ヨハネ福音書12章24~25節に、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」というイエス様の御言葉があります。イエス様が一粒の麦となって十字架で死んで下さったお陰で、おびただしい人が永遠の命という尊い実を結ばせていただきました。これと似たことは、その後も起こりました。教会が経験的に知っていることは、殉教者の血が、実りをもたらすことです。豊臣秀吉の迫害で1597年2月4日に長崎の西坂の丘で26人が殉教しました。それは見せしめでした。26人の中には日本人だけでなくスペイン人、ポルトガル人、メキシコ人、中国人もおり、6人の宣教師もおり、少年もいました。しかし当時の日本人は、神様(イエス様)のために喜んで命をささげた人々を初めて見て、感動してしましました。見せしめだったはずの26人の殉教は、仲間のキリシタンたちを勇気づけ、かえってキリシタンが増える結果になりました。

 私は先月韓国に行きましたが、韓国の教会にもいろいろ課題もあるようですが、クリスチャンが日本より多いことは事実です。これは真に言いにくいことですが、戦前の韓国のクリスチャンは苦難を受けました。各地に神社が建てられ、神社参拝、天皇を神とする偶像礼拝を強要されました。それを拒否したクリスチャンが多く、殉教の死を遂げました。その後も朝鮮戦争があって大変だったと思いますが、クリスチャンは増えていったようです。殉教者の血が流されたことで、神様が感動して下さり、多くのクリスチャンを起こして下さったのではないかと言われています。イエス様が一粒の麦となって十字架で死なれたことで、多くの人々が救われる基となった事実に似て、殉教者たちの血が祝福の源となって、韓国の教会に祝福がもたらされたのではないかと言われます。私たちが殉教することはないかもしれませんが、それでもクリスチャンの生き方が、より若い世代に感化を与えて、次のクリスチャンたちが産まれて来ることは事実と思います。そう思うと、私どもクリスチャンの責任は大きいと襟を正さざるを得ません。

 もちろん祈りが大切です。東久留米教会初代牧師の浅野悦昭先生の説教集によると、初期の教会は、教会を迫害するローマ帝国のために祈り続けたというのです。迫害されても、殉教者が出ても、ローマ帝国を憎まず、敵ともいえるローマ帝国のために祈り続けたというのです。そして紀元313年に「ミラノの勅令」により、キリスト教がローマ帝国の公認宗教になり、後に国教になりました。祈りの勝利です。但し国教になってしまうと権力に結びつき慢心し、逆に腐敗・堕落の危険が生じるので、よいことではないと思います。

 今の日本の状況では、一度に何十人もの人々が洗礼を受けることは、起こりにくいと感じます。洗礼を受けて終わりではなく、もちろん一生クリスチャンとして生きることが必要です。先日の韓国で、私の念願の提岩里教会行きを案内して下さった青年は、「韓国ではクリスチャンが多いので、日曜日に教会に行くのが当たり前だから(何となく?)行くという人もいるが、日本の、日曜日に教会に行かないのが普通のような社会で、あえて教会に行く信仰は純粋だと思う」と言って下さいました。そのような面もあるのでしょう(多少お世辞も入っているかもしれませんが)。

 一度の大勢がクリスチャンになることは、今の日本では起こりにくい。私が思うに、クリスチャン一人一人の存在が、神様から与えられた奇跡です。今ここで礼拝が献げられていることも奇跡、ここに教会が立っていることも奇跡。もちろん私たち一人一人が生まれて来たことそのものが既に奇跡です。さらにイエス・キリストを救い主と信じる信仰を与えられて、洗礼を受けたことが、大きな奇跡です。この恵みの事実を、まず心から喜びましょう。洗礼は大きな霊的祝福です。洗礼は、私たち罪人(つみびと)がイエス様と共に十字架につけられて一旦死に、イエス様と共に新しい命に復活することです。言い換えると、私たちとイエス様との間に「聖なる交換」が起こることです。私たちを支配していた罪と悪魔と死の呪いの全てをイエス様が十字架で引き受けて下さり、イエス様が持っておられる永遠の命の祝福を私たちが、そっくり頂戴することです。「聖なる交換。」イエス様が罪人(つみびと)全員の呪いを全部受け取って下さり大損して下さり、私たち罪人(つみびと)はイエス様の持っておられる永遠の命の祝福を、そっくり頂戴して最高の祝福(大得)を受け取ることです。「聖なる取り換えっこ」です。もちろんイエス様が、十字架で辛い思いをして下さったことを忘れてはいけません。

 神様がこれからの恵みの奇跡を起こして下さり、イエス様を信じて洗礼を受ける方々が起こされてゆくように、クリスチャンになった方が信仰の道を一生生きることができるように、ますます祈って参りましょう。この場所はガリラヤ湖の湖畔ではありませんが、南沢湧水の湖畔、落合川の湖畔です。ガリラヤ湖に比べれば小さな水のほとりですが、祝福の源の同じイエス様がついておられるのですから、本日の聖書の出来事と同じ出来事を起こして下さいと、ますます祈り、御言葉の種を蒔いて参りましょう。アーメン。