日本キリスト教団 東久留米教会

キリスト教|東久留米教会|新約聖書|説教|礼拝

2023-11-19 0:56:30()
「キリストを指し示す私たち」 2023年11月19日(日)降誕節第6主日礼拝
順序:招詞 ペトロの手紙(二)3:9,頌栄24、主の祈り,交読詩編113、使徒信条、讃美歌21・175、聖書 詩編69:5(旧約p.902)、ヨハネ福音書15:18~6:4a(新約p.199)、祈祷、説教、祈祷、讃美歌530、献金、頌栄27、祝祷。 

(詩編69:5) 理由もなくわたしを憎む者は/この頭の髪よりも数多く/いわれなくわたしに敵意を抱く者/滅ぼそうとする者は力を増して行きます。わたしは自分が奪わなかったものすら/償わねばなりません。

(ヨハネ福音書15:18~6:4a) 「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。 『僕は主人にまさりはしない』と、わたしが言った言葉を思い出しなさい。人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう。わたしの言葉を守ったのであれば、あなたがたの言葉をも守るだろう。しかし人々は、わたしの名のゆえに、これらのことをみな、あなたがたにするようになる。わたしをお遣わしになった方を知らないからである。わたしが来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが、今は、彼らは自分の罪について弁解の余地がない。わたしを憎む者は、わたしの父をも憎んでいる。だれも行ったことのない業を、わたしが彼らの間で行わなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが今は、その業を見たうえで、わたしとわたしの父を憎んでいる。しかし、それは、『人々は理由もなく、わたしを憎んだ』と、彼らの律法に書いてある言葉が実現するためである。わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから証しをするのである。
これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。」

(説教) 本日は、降誕前第6主日(子ども祝福)の礼拝です。説教題は「キリストを指し示す私たち」です。新約聖書は、ヨハネ福音書15:18~6:4aです。小見出しは、「迫害の予告」です。

 この直前でイエス・キリストは弟子たちに、「私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。私の命じることを行うならば、あなた方は私の友である。~私はあなた方を友と呼ぶ。~あなた方が私を選んだのではない。私があなた方を選んだ。」こう言って下さるイエス様は、イスラエルの地において人々に憎まれ、迫害され、十字架の死に追いやられるのです。イエス様のような愛の方がなぜ憎まれるのか不思議ですが、人々に憎まれ迫害され、十字架に追いやられるのです。原因は私たち人間の罪深さであると言うしかありません。

 本日の最初の18節「世があなた方を憎むなら、あなた方を憎む前に私を憎んでいたことを覚えなさい。あなた方が世に属していたなら、世はあなた方を身内として愛したはずである。だが、あなた方は世に属していない。私があなた方を世から選び出した。だから、世はあなた方を憎むのである。」弟子たちも私たちクリスチャンも、イエス・キリストに所属する者、神様に所属する民になっています。その考え方、生き方、行動が、それ以外の人々(世と呼ばれる)と違うので、イエス様もクリスチャンも、世の中の人々に憎まれることが起こるのです。先週も引用しましたが、テモテへの手紙(二)3章12節に、「キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます」と記されている通りです。イエス様に従って生きる人は、迫害を受けることが多いのです。

 20節「『僕(しもべ)は主人にまさりはしない』と私が言った言葉を思い出しなさい。」イエス様はこの福音書の13章16節でこう言われました。弟子たちや私たちはイエス様にまさりはしないということです。当然ですね。「人々が私を迫害したのであれば、あなた方をも迫害するだろう。」イエス様が迫害されたのであれば、イエス様に従う私たちも迫害されるのは、当然ということになります。ですからイエス様は弟子たちに言われます。マタイ福音書16章24節以下「私に着いて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。」従った人には、恵みが待っているのです。「自分の命を救いたいと思う者(イエス様に従わない者)はそれを失うが、私のために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」つまり大富豪になるよりも、イエス様に従って地上の命を落としても、天国に入る方がよいと言われたのです。

 ヨハネに戻り20節の最後の文「私の言葉を守ったのであれば、あなた方の言葉をも守るだろう。」つまり世の中の人々がイエス様の御言葉を守るのであれば、イエス様の弟子たちの言葉(教会のメッセージとも言えます)をも守るに違いありません。21節「しかし人々は、私の名のゆえに、これらのことをあなた方にするようになる(=あなた方弟子たちを迫害するようになる)。私をお遣わしになった方を知らないからである。」世の中の人々(ここではイスラエルの人々)が、イエス様(真の神様)を知らないからです。いえ知っているつもりなのですが。本当には知らないということです。22節「私が来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが、今は、彼らは自分の罪について弁解の余地がない。」イエス様が来られて、父なる神様に導かれて愛の業を行っておられるのに、それを拒否しているのですから、イエス様を憎む人々の罪は明らかであって、もはや弁解の余地がありません。23節「私を憎む者は、私の父をも憎んでいる。」24節「誰も行ったことのない業を、私が彼らの間で行わなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが今は。その業を見た上で、私と私の父を憎んでいる。」

 イスラエルのユダヤ人たち(特にファリサイ派や律法学者と呼ばれる人々)は、イエス様につまづきました、イエス様を神様の御心に適う方と信じることができず、逆に神様の御心に背く者と見てしまったのです。それは彼らの心が自我やプライドや偏見に覆われていたからです。私たちの心にも自我やプライドや偏見はあるので、注意する必要はありますね。聖書の御言葉と聖霊に導かれて、できるだけイエス・キリストの心に近づいて判断、発言、行動を行う者となれるように心がける必要があります。

 ユダヤ人たちはたとえば、ヨハネ福音書5章でイエス様が安息日に病人を癒したことに怒りを覚えました。旧約聖書のモーセの十戒に、「安息日にはいかなる仕事もしてはならない」と書いてあるからです。確かに十戒を表面的に読むと、安息日に病気を癒すことも仕事になり、イエス様が違反したように見えます。しかし「安息日にいかなる仕事もしてはならない」とは、どのような意味なのか、祈ってよく考える必要があります。ここで言う仕事とは「人間の業」と言えます。「人間中心の業、つまり罪」と言えます。「安息日には罪を犯さないように注意せよ」の意味とも言えます。もちろんそれは安息日だけの心がけではなく、安息日に始めて全ての日に罪を犯さないように気をつける必要があります。安息日は「神様に罪を犯すことを避けて神様を愛して礼拝し、隣人にも罪を犯すことを避けて隣人を愛する日、できれば敵までも愛する日」ということになります。これが安息日の本当の意味だとすれば、イエス様が安息日に病を癒したことは、安息日の精神に完全に適っていたことになります。

 ユダヤ人たちはまた、イエス様が神様を「私の父」と呼ばれたことにも怒りました。神を父と呼ぶことは、ご自分が神の子だと宣言したことになり。ご自分を神と等しい者と宣言したことになるからです。ユダヤ人たちには、これが神様への著しい冒瀆、許しがたい罪に聞こえました。それでイエス様に殺意を抱くようになったのです。しかしイエス様は本当に神の子なので、神様をご自分の父と呼ぶことは当たり前のことです。それを受け入れることができず、彼らがイエス様を憎んだのは、彼らが真理の前に謙虚でなかったからと言わざるを得ません。イエス様は、父なる神様の御心に適うことばかり行っておられるので、本当は憎まれる必然性が全くないのです。25節「しかし、それは『人々は理由もなく、私を憎んだ』と、彼らの律法に書いてある言葉が実現するためである。」この御言葉は、本日の詩編69編5節と思われます。「理由もなく私を憎む者は、この頭の髪よりも数多く、いわれなく私に敵意を抱く者、滅ぼそうとする者は力を増して行きます。」

 26~27節「私が父のもとからあなた方に遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊(聖霊)が来るとき、その方が私について証しをなさるはずである。あなた方も、初めから私と一緒にいるのだから、証しをするのである。」さらに16章1~4節「これらのことを話したのは、あなた方をつまずかせないためである。人々はあなた方を会堂から追放するだろう。しかも、あなた方を殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。彼らがこういうことをするのは、父をも私をも知らないからである。しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、私が語ったということをあなた方に思い出させるためである。」イエス様の十字架と復活後にエルサレムにできた最も初期の教会は、ユダヤ人の信仰共同体である会堂から追放されたようです。イスラエル社会で村八分にされたのですね。

 真理に従う人が必ずいつも少数派と決まっているのではありませんが、そうなることもあります。日本でイエス様に従って、非国民扱いされた人々は少なくないと思いますが、その一人のクリスチャンは内村鑑三でしょう。内村鑑三を有名にしたのは1891年の不敬事件です。内村鑑三30歳でした。1889年に大日本国憲法ができ、第三条には「天皇は神聖にして侵すべからず」と決められ、翌年には教育勅語ができました。内村の務めていた第一高等学校(今の東大教育学部)で教育勅語の奉読式が行われ、会場教室の正面に明治天皇の写真が飾られ、教頭が教育勅語を奉読しました。その後、先生たちが順番に教育勅語に最敬礼します。内村鑑三は日本を愛し、明治天皇も愛していましたが、天皇を神として拝むことはできませんでした。モーセの十戒の第一に戒めに「あなたには、私をおいてほかに神があってはならない」と明記されているからです。これに違反することは偶像崇拝の大きな罪を犯すことになります。内村は軽く目礼をして、自分の席に戻りました。その場は終わりましたが、教頭先生は怒り、世間の風当たりも強くなり、第一高等学校の教師の職を失います。若い妻は心労等のために、天に召されてしまう悲劇となります。内村は決して愛国心のない人ではなく、それどころか「2つのJ」を愛するのが彼の生き方でした。「2つのJ」とは Japan と Jesus(イエス・キリスト)です。しかし世間は理解せず、内村は非国民として非難され、村八分の目に遭いました。その中で彼は必死に祈り、祈りの中でイエス・キリストからの慰め、聖霊の慰めを経験したようです。

 次に彼が同じような経験をしたのは、1905年~1906年の日露戦争の時です。彼は非戦論を唱え、またも非国民として非難されました。彼の非戦論の根拠は、もちろん聖書です。モーセの十戒の第六の戒めに「殺してはならない」とあり、イエス様もマタイ福音書5章9節で、「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは、神の子と呼ばれる」と語っておられます。彼は『非戦論の原理』という本で、次のように書いたそうです。「弱い人類が、世界の支配者になったのは、戦いにおいて強い者が勝つという法則によったのではなく、愛と助け合いによったのです。イエス・キリストは『剣を取る者は皆、剣で滅びる』と言っておられます。その意味で、非戦論は、必ず神に祝福されるのです。」

 これには彼の深い悔い改めがありました。その10年前の日清戦争の時は、戦争の賛成したのです。大国清国から日本と朝鮮の独立を守るために、日本は正義によって清国と戦わなければならないと考えたのです。しかし清国と日本の戦争は朝鮮半島の人々を悲惨な目に遭わせました。彼は武士の子だったので、日清戦争は日本の正義の戦争だと思ったのです。ところが戦争の実体は悲惨でした。戦争に勝利して舞い上がる人々を目にして、内村鑑三は自分の間違いに気づきます。「義戦というのは、私の間違いでした。日本のやり方は海賊的な戦いになり、義戦などと書いた私は、神の前で偽預言者となるでしょうか。まさに頭を掻きむしり、髪の毛を引き抜いて地獄の底にまで落ちる恥ずかしい気持ちです。」二度と同じ過ちを繰り返すまいと決心した内村は、日露戦争の時は非戦論を主張したのです。戦争の最も深い原因は、私たち人間の罪です。この罪は非常に深いので、政治や哲学で解決できません。神の子イエス・キリストの十字架による以外に、罪を根本的に解決する道はありません。彼が働いていた新聞社・万朝報社は、最初は非戦論でしたが、途中で日露戦争賛成に変わったので、内村鑑三は万朝報社を退社しました。日露戦争に反対したので、またも彼は非国民と非難されました。しかし真の愛国者だったのです。

 明治維新までは武士がいたので、当時の日本は戦争を肯定する意見も強かったのでしょうね。私は今回、台湾に行かせていただいた驚いたのは、明治政府は1874年(明治7年)に早くも台湾に出兵しているのです。日本国内の内戦である西南戦争より3年前に、既に初めての海外出兵である台湾出兵を行っていたのです。武士の時代が終わったばかりの日本では、戦争を悪と考えなかったのだと思います。

 私たちは、世を愛するか、キリストを愛するか。2つに1つです。願わくは、ご一緒にイエス・キリストを愛し、イエス・キリストに従う生き方を選んで参りたいのです。アーメン。

2023-11-17 13:25:17(金)
伝道メッセージ(11月分) 石田真一郎(市内の保育園の『おたより』に掲載)
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(イエス・キリストの言葉。新約聖書・ヨハネによる福音書15章13節)。

 イスラエルとハマスの戦争が一刻も早く終わるように、切に祈ります。ベルギー生まれのダミアンという神父がおられました(1840~1889年。やなぎや けいこ著『二つの勲章 ダミアン神父の生涯』ドン・ボスコ社)。海外宣教師になる希望を持ち、1864年にハワイに派遣されます。当時、ハワイ諸島にはハンセン病の方々が多かったそうです。ハンセン病は今は、よい薬で確実に治り、感染力は極めて弱く隔離の必要もないのですが、以前は感染力が強いという誤解により、患者の方々や家族がひどい偏見と差別に苦しみました(日本でも)。

 ハワイでも同じで、ハンセン病と診断された人は、絶海の孤島モロカイ島に送られました。景色はすばらしいが日照時間が短く、湿気も多い土地。家族と別れてモロカイ島に送られる人々は泣きました。そこに教会はあるが神父がいない。ある女性は「私はもう神を信じない。祈ろうとも思わない。」ダミアン神父は、「神様、何とかして下さい」と必死に祈り、思いつきます。「僕がモロカイ島に行けばよいのだ。」行くと、人々は見捨てられた絶望感に満ち、朝から酒を飲み、風紀も乱れていました。ダミアンは、患者さんたちと家や施設を建てます。大工仕事が得意です。病院は粗末で医師も看護師もほとんどいませんでしたが、彼が来てから徐々に改善され、子どもたちの学校もできて、多くの孤児たちが入学します。教会も使われていませんでしたが、大掃除をしてミサ(礼拝)を再開。ハワイの人々が陽気なのを見て、音楽を導入します。本島から中古楽器や楽譜を送ってもらいます。病気で指が欠けた人、唇が変形した人もいますが、熱意がハンディを乗り越え、よき楽団となり、人々に慰めと希望を与えます。

 1884年、ダミアン神父はハンセン病になりました。ハンセン病の感染力は極めて弱いのに、不思議です。彼が元々ハンセン病にかかりやすい体質だったと専門家は言います。彼はミサ(礼拝)で説教します。「私は皆さんと同じ病気になりました。この恵みを感謝します。皆さんの気持ちが本当に分かるようになり、皆さんと私の絆は、もっと強くなります。これは神からの大きな勲章です。」何とすごい人かと感嘆します。日本人の後藤医師が親友です。「私は世から忘れられて、この苦しむ人々の中で暮らしたい」と言ったダミアンは、世間の名誉を求めませんでした。「モロカイ島の聖者」と呼ばれることも迷惑でしょう。イエス様に従った見事な生涯です。アーメン(「真実に」)。

2023-11-17 13:23:40(金)
伝道メッセージ(10月分) 石田真一郎(市内の保育園の『おたより』に掲載)
「平和を実現する人々は、幸いである」(イエス・キリストの言葉。新約聖書・マタイによる福音書5章9節)。

 広島で13才で原爆に被爆したサーロー節子さんのメッセージを絵本にした『光にむかって ノーベル平和賞のスピーチ』(汐文社、2022年)を読みました。1945年8月6日午前8時15分、節子さんは目もくらむ青白い閃光を見ました。気がつくと、周囲は真っ暗で、倒れた建物の下敷きでした。広島女学院(キリスト教学校)の同級生の声が聞こえます。「お母さん、助けて。神様、助けて。」男性の声が聞こえました。「あきらめるな。動いて行け。今助ける。光が見えるだろう? そこまではって行くんだ。」神様が励まして下さったと思うのです。外に出ると、恐ろしい光景でした。同級生は焼け死に、歩いている人も皆、血を流し、火傷を負い真っ黒でした。保育園の「おたより」に書きにくいのですが、現実でした。私の親戚も広島の原爆で亡くなりました。

 16才で洗礼を受けてクリスチャンになった節子さんは、先頭に立って核兵器廃絶を訴え続けます。「『核兵器は悪だが、必要だ』という人に私は告げます。核兵器は人類が持ってならない絶対悪だ」と。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮が核兵器を持っています。2017年7月、国連で「核兵器禁止条約」が採択され、50国が同意して2021年1月に発効。しかし核保有国と日本や韓国が署名していない。何と日本が署名していないとは、全くあり得ないことです。

 今の「平和」は、核抑止力に依存した仮の「平和」で、真の平和ではありません。ある被爆者は、真の戦争抑止力は「ノーモア ヒロシマ」「ノーモア ナガサキ」「ノーモア 戦争」の叫びだと言われ、私もそう思います。今の日本はアメリカに協力し過ぎて防衛費倍増に走り、集団的自衛権を認めた以上、アメリカの戦争に引きずり込まれる恐れありです。黙っていてはいけないと思い、9月18日(月・休)に「戦争はイヤ 声をあげよう実行委員会」主催の市民パレードに参加しました(東久留米市役所から出発)。日本は、核抑止力に頼らない真の平和をめざし、アジア各国との平和外交に全力を挙げることこそ大切と信じます。神様が、戦争なき世界へと、私たちを導いて下さるように。アーメン(「真実に」)。

2023-11-17 13:21:39(金)
伝道メッセージ(9月分)石田真一郎(市内の保育園の『おたより』に掲載)
「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(イエス・キリストの言葉。新約聖書・ヨハネによる福音書8章32節)。

 以前、早川園長先生に伺った話について、調べてみました。有馬四郎助というクリスチャンの刑務所長がいたのです(三吉明『有馬四郎助』吉川弘文館)。薩摩(鹿児島)生まれで、初めはキリスト教を邪教と思い、キリスト教が大嫌いでした。このような人は、かえって見込みがあります。誰よりも熱心なクリスチャンになったのです。34才でした。27才で、北海道の網走刑務所長になっていました。

 有馬さんは後年、刑務所長としての自分の姿勢を、次のように語りました。「私は囚人の善への可能性を信じ、彼らを囚人としてでなく、人間として処遇します。できれば彼を直します。私は彼らと友人になろうと努力します。彼らを釈放するに際し、正直な生活につくように助力します。私はキリスト教について、説教はしません。ただその教えが生きるように試みました。」

 今年9月1日で、関東大震災からちょうど100年です。その時、有馬さんは東京の小菅刑務所(現・東京拘置所=葛飾区)長でした。刑務所の建物も損壊し、受刑者が逃走可能になりました。余震の中、有馬所長は倒壊の危険のある諸建物に走って入り、職員・受刑者の無事を確かめました。日ごろの有馬所長の親愛に対し、受刑者たちは、今こそその恩義に応えるときと思い定めて立ち上がり、互いに逃走を戒め合った結果、一人の逃走者も出ず、強制されてではなく、進んで秩序を守ったのです

 彼らは、真の自由に生きたのです。イエス様は「真理はあなたたちを自由にする」と言われました。東久留米市にある自由学園の自由の名は、このイエス様の御言葉から取られています。私たちは、自由とは勝手気ままを行うことと誤解しています。真の自由とは、自分のエゴイズム(罪)に負けないこと、自分のわがままな心に進んで打ち勝つことです。受刑者たちは、このピンチにこそ、有馬所長の信頼を裏切らず、その信頼に自発的に応える真の自由に生きました。逃走の誘惑に打ち勝つ真の自由に生きたのです。見事です。

 日ごろから受刑者たちによき感化を及ぼしていた有馬さんのキリスト信仰と人格は、本物でした。有馬さんは新しい受刑者を迎えたとき、「君だけが罪人(つみびと)ではなく、私が罪人(つみびと)の頭(かしら)だ」と言いました。「完全な愛の方イエス様と比べれば、自分も非常に罪深い」の意味です。私たちもイエス様に従うとき、真に自由な者になります。アーメン(「真実に」)。

2023-11-17 13:19:52(金)
伝道メッセージ(8月分)石田真一郎 市内の保育園の「おたより」に記載した文章
「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(イエス・キリストの言葉。新約聖書・マタイによる福音書26章52節)。

 8月は平和を愛する思いを新たにする月です。1945年8月までの日本は、富国強兵で生きようとし、朝鮮半島や台湾を植民地とし、敗戦で挫折しました。1946年5月より1948年11 月まで、日本の戦争指導者たちを裁く東京裁判(極東国際軍事裁判)が行われました。28名がA級戦犯として起訴され、7名が絞首刑になりました。

 東京裁判が行われた白亜の大講堂が東京・市ヶ谷の防衛省内に現存します。老朽化で取り壊しに決まりかけましたが、保存運動が起こり、一度解体した後ほぼ同じ場所に再建されました。私は6年前に見学に行きました(今も事前予約して見学できるはず)。中は教科書等に載っている写真ほぼそのままですが、思ったほど巨大ではない。裁判の時の机・椅子はありませんでしたが、自由に歩き、あの二階が傍聴席、ここが東條英機元首相たちA級戦犯の被告席、裁判長の席、弁護人の場と確認でき、ここがあの歴史的な場所かと思うと感無量でした。私の高校の同級生K君の曽祖父がA級戦犯で絞首刑になった広田弘毅元首相で、K君と仲がよかった私は高校時代から東京裁判に関心を持ちました。

 東京裁判には「勝者による裁き」という批判があり、一部その通りと思います。アメリカの原爆投下は裁かれていません。それでも日本が国際社会に復帰するためのけじめとして、避けて通れない裁判でした。私の関心は、日本はどこから道を誤ったかです。大国になろうとし過ぎました。東京裁判を学ぶことで、日本の敗戦までの歩みを検証し、同じ過ちを繰り返さないよう、今後に生かすことができます。今の国際情勢は厳しい。現実を直視しつつも、平和憲法の理想を捨ててもいけません。

 今の子どもたちの人生が幸せになるために、私たち大人が忍耐強く平和な日本、アジア、世界を造る努力をしましょう。戦争は最も安易な手段、平和への地道な努力こそ困難ですが最も尊い。憲法九条を確認しましょう。「①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」アーメン(「真実に」)。